Alive

in tokyo nakano sogo hospital…
just surviving, mr. bond!

受難と復活

皆さま

ご無沙汰しております。
皆さまはお元気でしょうか?

実は、花見パーティ&ちょっと遅いイースター
についてのメールを書こうと思ったのだが、
その後色々があって、全然違う内容になってしまった。。。

ことの始まりは2週間前。
毎年のように以前の仕事仲間と恒例の花見パーティ。
とても楽しみに代々木公園へ行った。
きちんと場所とりもしたので、日本人が好きなブルーシートではなく
素敵なウッドベンチでお花を満喫。

元ボスがハウスカーヴからビンテージワインの数々を放出。
ザーサイとネギのサラダ、赤ピーマンのクリームディップなどなど
メンバーの手作りメニューのフードも充実。
とーってもおいしーそう。
でも、なぜか食べれない。。。
その時にすでに僕の呪われた運命は始まっていたのだ。。。
ワインをグラス半分飲んだところで、全身異様な重さに襲われ
がまんできずに
早々に家に引き上げちゃった。

それから悪夢の週末がやってきたのだった。

痛み止めのアスピリンを飲んで
ベットとトイレの間をピンポン移動、
でも寝ることも飲み食いもできました。
週末だったので、御医者さんには行きはばかられ
なんとなくやり過ごして。
痛かったけどさ。。。
辛かったけどさ。。。
東ドイツ生まれの僕は、がまん強いからさ。。。

だが。。。

週が明けて月曜日の夜中の2時
いつものようにトイレに。
だが排出したものは、嘔吐と咳のカクテル。
その瞬間、胃のあたりが爆発したような感覚があったような。
えもいわれぬ痛みが体の中を駆け抜けたのです。

その時から横にもなれず、
筆舌に尽くしがたい痛み。
呼吸もママならず、座ったままリラックスしようと努力。
そのまま朝を迎え、いつもの医者に電話して回診を御願いしたけれども
対応していないと断られた。
タクシーで来るように、とのこと。

タクシーの電話番号を調べる力もなかったので
とにかく外でタクシーをつかまえようとして家を出
た。

だが・・・・

歩くことはおろか、
エビのように腰を曲げ、小さな歩みで進むしかなかった。
そして50メートル先の公園まで約30分かかった。
そこまで行った所で、心配した御医者さんが電話をくれました
「今、どこにいるの?」
でもその声もはるかかなたから聞こえてくるよう、
もう聴く力もなかったのです

「救急車呼んであげるよ、そこで待っているように」
しかし3分あとに、その場所にやってきたのは、救急車ではなく
なぜか真っ赤な消防自動車。
「救急車はあと3分でくるよ」と伝令にいらっしゃったのだった。
そしてやさしく毛布を僕の肩にかけてくれた。

そのあと3回ほど
「ドゥーユースピークジャパニーズ?」と尋ね、
(あたりまえでしょう!)「もちろん」と応える僕。

そして救急車に乗り込み、携帯から
かかりつけの御医者さんに僕の病歴を聴いてくれて
病院が決まって中野総合病院へ。
産まれてはじめての救急車。19年ぶりに入院。(前回は肺炎でベルリンで)

病院に入ってぐ点滴&検査。車椅子に乗ってレントゲンなど。
体にちょっとだけ触れられるだけで、痛くて泣いてしまった。

Y先生が、すぐに原因は上部消化管穿孔。
十二指腸に穴が空いている、すぐに手術しないとダメと判断。
その先生の頼もしい、エネルギッシュな様子にすごく安心しました。

痛みで横になることもできなかったので
背骨の麻酔チューブを入れ、スタッフ20人がかりで
痛がる僕を手術台に載せたのです。

手術前に、手術同意書にサインでなく
指紋を捺印せねばならず、ちょっとビックリ。
看護師さんが手術道具を渡すのように、赤い朱肉を差し出し、
僕が右手の人さし指で押印するとまたたく間に、
指を消毒したのです。その早いことといったら。

手術室に入る前、
睡眠用のガスが出てるマスクをして
みなさんに「いってきます」と行ったのを覚えています。

3時間後。。。

手術後の経過は以下、Barbara のメールより転用。



日本語でいうと上部消化管穿孔という事態であったようです。
英語では duodenal perforationでよかったんでしょーかー
ひどい英語文でお恥ずかしいばがり…

十二指腸潰瘍の深刻なヤツみたいです。
やはり働きすぎと、神経の使いすぎ
が原因と思われます…
コーヒー&コーラ&たばこもですけど。

容体のほうはというと
昨日からやっと、鼻チューブ(胃の遺物を抽出する管)
がとれて、液体ドリンク、まるでテキーラのようにショットグラスで
飲んでいました。
お食事は相変わらず一日3袋の点滴。鎖骨のあたりから。
まるでビールのように消費しています。
パンパースはしているものの歩いてトイレに。
しかし長躯をやや前傾して歩く様子は
ちょっといたいたしいです…。
あと、お腹の傷が圧巻。
開腹したところは、いわゆるクロスステッチ10センチ大なのだが、
その脇に洗浄用チューブ5本が円を描いて刺されており
「まるでお花だネ!」とピー氏。
お花って、そりゃアンタ心に咲かせるもんで
お腹に咲かせちゃいけないよ!



その間二日間はただ眠るだけ。
一週間は何も食べることができませんでした。
二週間入院。
でも友達がいっぱいお見舞いに来てくれて、とても励まされました。

だが・・・

手術三日後の回診のとき
Y先生がいった
「ギリギリだったね。あと3時間遅れたら死んでたね」
とニコニコ顔で言って・・・。
ショック! 
たいへんな状態だったとは思っていたけど、そこまでまずかったとは
思ってなかったので。。。

あと3時間で死んじゃったって、
3分間でチーン!
みたいじゃーん。

その後、時間がいっぱいあったので
いろいろたくさん考えちゃった
病気の受難、そしてそれからの復活のこと
生と死、、、

you only live twice, mr. bond!
という映画のタイトル思い出したり。。。

そして僕の病院している病院
東京医療生活共同組合 中野総合病院
っていったい何?
社会主義チックじゃーん。
東ドイツ時代が懐かしい。

でも病院のスタッフみなさんは
ホントにとても優しかった

背が高い
一人ぽっちの
緊急オペの外人
ということで
オレはこの病院で
ちょっと有名になってしまった。
セレブな患者さ!

ドイツ語のことわざに
「bei null neu anfangen…」
ゼロから再生する
という言葉があります。
日本語でいうと
一からやり直す
それを考えました。

ゼロからってのは
ちょっとネガティブ。
なにもところからはじめるというのではなく
一からやり直す、
という日本語の方が
楽観的だなー
とか考えたり。

でも最終的に
心も体も元気になった

友達も、ナースも御医者さんも
とてもよくしてくれて
僕にとって忘れられない2週間になりました。

あ!
そうそう、原因はね、
背中&ヘルニアの痛み止めの薬を
飲み過ぎたことだったらしい。。。

だから
みんなもアスピリンの飲みすぎには
注意しましょうね!

ほんと
長過ぎるメールで
スミマセン
でも、これはみなさんに
ぜひお伝えしたかったことなので

写真はココ
https://peterbrune.com/alive/

これからは、
ちょっとスローライフ第一にしようかな、と。
一から。。。

みなさんも
体には気をつけてネ。
そしてお友達を大切に。

ピー